山形県唯一の離島・飛島 -内から見れば・外から見れば-
すぎやま・まこと
一九三六年(昭和一一年)、静岡県清水市生まれ。
北海道大学大学院博士課程外科系修了。臨床病理学専攻。医学博士。
北海道教育大学講師(兼任)、日本医科大学講師(専任)、国立精神・神経センター国府台病院臨床検査部長を経て、二〇〇〇年四月から現職。
はじめに
私は、平成一二年四月に国立の病院を定年を少し残して辞め、山形県唯一の離島である飛島の診療所に赴任した。
定年後には、病院や教育・検査関係で仕事を、といってくださるところはいくつかあったが、北の辺地の勤務に耐えられるだけの体力があるうちに、という思いであった。その意向は少し前から妻にも伝えて、承諾を得ていた。
大学入学以来、辺地医療を、ということが頭の片隅にあった。しかし、大学卒業後、次第に自分の専攻が大学病院や大手病院指向の分野になり、これまでそれが果たし難かった。
私が大学に入学した昭和三十年代の初めごろは、戦後の混乱期からやや落ち着きを取り戻してきたとはいえ、極端な医師不足であった。大学のクラブ活動などで辺地の調査などに行くと、医師不足は深刻で、医学生の手さえ借りるというのが現実であった。
当時から、地域により医師の分布には大きな違いがあったが、それは医師過剰時代といわれている現在でも同じである。
鶴岡、酒田には、それまでに何回か来たことがあり、庄内には少し馴染みがあったが、飛島は全く初めての土地であった。
なぜ飛島か、とよく聞かれる。
辺地は多様である。内陸の過疎地は不便ながらもなんといっても地続きである。地続きのありがたさは、島にいるとよくわかる。
飛島に来るまでの約十五年間、夏休みを利用して、若い医師の卒後教育に、半分遊びをかねて友人の経営する四国の病院へ行った。その折、瀬戸内海の島のいくつかやその診療所にも行く機会を得た。そのときの印象は、瀬戸内は気候温暖で、本土にも近く、北よりも何かにつけ恵まれているような気がした。それに引き替え、飛島は交通の便からいっても、気象状況からいっても、はるかに条件は悪い。それだけ私に対するニーズが高かろうという思いがあった。
ここに赴任して一年半あまりしかたっていないが、見るもの聴くものが、好奇心をかり立てるものばかりである。と同時に、島は小さいが、それを取り巻く問題の大きさも知らされた。
それは何か。そしてどうしたらよいのか。
わずかな経験の中で、それらを網羅的に取りあげて論ずるのは所詮無理で、もとより私はその器ではない。しかし、よそ者ゆえに、かえって見えてくるものもあるかもしれない。その幾つかについて、首尾一貫せず断片的で、独善的になることをお許し願い、気のつくままに記そうと思う。
飛島というところ
飛島は酒田から三十九キロメートル。周囲十キロメートル。ほとんどが平坦な台地で、一番高い山でも六十九メートル。大津波がくれば、頭を越されそうな感じがする。
ここは、一口でいえば、漁業と観光と自家用の農業の島である。
本土との連絡には、季節変動はあるが、定期船が通常一日一便就航し、片道九十分かかる。一日一便ということは、島からは日帰りが不可能であるということを意味している。私は酒田の看護学校へ講義に行っているが、行って帰るだけで一日かかる。これは、私がこれまでに経験した、通勤時間がもっとも長い学校ということになる。
無医島はいくつあるか
平成一二年より海の一一〇番である海難一一八番制度がひかれたが、海上保安庁の各管轄海域での守備範囲は広く、現場によっては何時間もかかるのが実情である。通信手段が発達している昨今、私は、緊急対応の窓口になれないものかと思うことがある。
全国有人離島二七四島(離島振興法指定離島のみ。平成一一年四月現在)のうち、私のような常勤医がいる島は四〇%に過ぎない。しかし、問題はそれだけではない。無医離島はいくつあるか、の正解は「無数」である。
全国各地で、遠洋で操業している漁船は数えきれない。六月頃よりイカを追って、最後は年末オホーツクにいたるまで漁に出ることを、ここでは出稼ぎという。そのいずれもが一人から、七、八人乗りの小無医島といえよう。実際、昨年洋上で、吐血を顧みず操業し、手遅れになった例がある。
それを聞いて以後、機会あるごとに、出稼ぎの漁師とその家族には、洋上で何かあったら、相談に乗れることもあるかも知れないから連絡を、と言ってきた。そう声をかけられただけで少し安心するという。その後、未だそのような事故がないことは幸いである。
医師不足の原因は
医師不足の原因としては、これまでに診療施設が貧弱だ、救急対応ができない、勉強したくても研修の機会が少ない、決まりきった症例で学問的興味がわかない、専門分野以外のものを手がけなければならない、責任が一手にかかってくる、田舎医者だという先入観から住民に信頼されない、手当が安い、文化的に立ち遅れている、気候風土になじめない、子弟の教育に事欠く、私生活がいつも干渉されるような気がする、といったことなどが指摘されてきた。
しかし、仮に設備の充実をはかっても、それには限度がある。いくら高価な医療機器を備えても、その操作、保守点検、それに見合うスタッフの確保、経済的稼働率などの壁にすぐ行き当たる。むしろ、どんな病院にいても、完璧を期すことはできず、何らかの不満が常に残ろう。
医師はその時代のレベルに即応した行為が要求される職業の一つであるから、常に最新の医療情報の収集に心掛けなければならない。また、医学の習得には徒弟制度的な教育が不可欠である。こうしてみると研修途上にある若い医師が、辺地を敬遠するのは無理からぬことといえる。給与面や子弟の教育などに関する受け取り方には個人差があり、一概には論じられない。しかし、一ついえることは、辺地に住んでいるのは、別に医療従事者ばかりではない。地域振興を考える場合には、国民共通の問題として、議論する必要がある。
離島の医療に求められるものは
辺地医療を考える場合、これまでは、医療施設などの充実に腐心し、住民が離島医療に何を期待しているかを、住民の立場から考えることを忘れてはいなかったか。
住民が、医師に先ず期待するのはその存在感であり、医師がその地に常在していることによる安堵感である。
きょう私が島にいるか、いないかの動向に、住民は極めて敏感である。そんなことからも、私が不在であることによる不安感が読みとれる。また、赴任して数ヶ月も立たないうちに、何人もから、「先生は、いつまでここにいてくれますか。」と聞かれた。できるだけ長くいてくれ、という思いが確かにあると思う。その確答は難しいから、ただ笑っているだけであるが、内心、私のからだが許すまで、と先ずいいたい。しかし、それよりも、島の人たちとの信頼関係がいつまで保て、みんなが私をここにおいてくれるまで、というのが本音である。
存在感はとりもなおさず、家庭医としての役割を果たしてくれるものが身近にいるかということでもある。
古くから、患者はかかりつけの医師を持つようにいわれてきた。これはひとり離島だけの問題ではない。むしろ診療圏が限定されている離島では、互いの信頼関係さえ得られれば、その役目は果たしやすい。
島では、もはや顔を見たことがない人に道で出会うのは困難である。実際、一年半あまりの間に、私は全住民の七七%、全世帯の八八%の患者を直接診療する機会を得て、住民の健康状態の大要を把握するのに役立っている。
次に重要なのは、休日・夜間などの時間外診療である。いや、これはどの市町村でも苦慮しているのが実状であろう。飛島では、私が島にいる限り、どこへ行くにも車で十分とはかからないから、いつでも対応できる。
次に問われるものは、医師一人に保険請求業務を兼ねた看護婦二名という限られたスタッフと限られた施設の中で、どれだけの医療ができるかということである。そして、それに照らしての、患者のスクリーニング(ふるい分け)である。すなわち、この患者を島で診るか、医療体制が完備した病院に送るかの判断である。
例えば、外傷処置の場合、看護婦に器械出しなどは頼めても、縫合の助手を直接させることは、医療法上できない。自分で糸に針をかけて縫い、自分で縛るしかない。それにも自ずから限界がある。傷が深くて、あとで機能障害が懸念されるものや、手技的にはさほど問題がないものでも、感染防御のために徹底した消毒が必要なものは不可能となる。全身麻酔装置がないからである。内科的疾患にしても、入院施設がないから、患者を手元に置いて、経過を十分に観察する余裕がない。家族の負担を考え、できるだけ島で診るように努めるが、ここで診るか、搬送するか、とっさの判断を迫られる。結果的には、何でこんな患者を、遠路わざわざ送ってきたのか、と思われることもあるかも知れない。
そんな重症患者に遭遇した場合、後ろ盾になっていただいているのが酒田市の諸病院である。いわゆる病診連携である。私が市立病院の分院であるこの診療所を選んだ理由の一つもそこにあり、その協力方にはいつも感謝している。また、ここでは住民のほとんどが酒田市に家を持っているから、市内の病院を受診しやすいという特殊事情も幸いしている。
患者の緊急搬送体制
急患を本土に紹介する場合に、すぐに問題になるのが、患者の緊急輸送体制である。飛島では、それを三本立てで行っている。定期船に乗せられるか、ヘリコプターの出動を要請するか、夜間にはヘリは飛ばないから、巡視艇の派遣にたよるか、である。対岸の酒田までへリの場合は三〇〜四〇分、巡視艇の場合は九〇分くらいかかる。これは、あくまで往復の輸送にかかる実質的な時間で、出動までの整備時間により、所要時間は大きく左右される。
参考までにいうと、平成一二年度に急患で定期船に乗せたのは六例。ヘリが三例。巡視艇は二例である。疾患別では、脳卒中などの中枢神経系血管障害が四例、骨折や裁断機などによる指の切断などの外傷が二例、狭心症などの心虚血、肺炎、急性腹症、小児の熱性痙攣や喘息の重積発作が各一例である。
考えてみれば、疾病にしても災害にしても、今盛んに叫ばれている危機管理体制の確立は、別に島だけの問題ではなく、全国各地、各方面で取り組まなければならない問題である。
人口激減とその理由
飛島は元来大家族制であった。最大一七人家族の家があった。戦時中の産めよ殖やせよの時代とあいまって、養子縁組を積極的に行うなど、ピーク時の昭和一六年には、人口は一七八八人を数えた。それが、現在は三四〇人で、実に五分の一ほどに減っている。
その原因としては、@漁獲制限や生産調整により、大家族が必ずしも有利でなくなった、A漁労の動力化によって人手をあまり必要としなくなった、B漁獲高の減少による離漁やよりよい職場を求めての労働人口の都市吸収、C進学率の高まりとともに、高校進学のための離島生徒の増加、D都会の空気を吸ったものがUターンしなくなってきた、などが挙げられよう。
学童の減少と教育上の問題
人口減少とともに、学童・生徒数の減少も極端である。昭和三四年には児童・生徒が三四五人在籍していた。明治九年創立の伝統ある小学校も、平成一二年には小学生はいなくなり休校となった。現在は中学生が2人だけで、このまま推移すれば、残念ながら中学校も一四年度をもって休校になる公算が大である。
しかし、生徒二名に教諭は四名だから、マスプロ教育とはほど遠く、文字通りman to manの教育ができる。パソコン、理化学器具、情操教育教材などは豊富にあり、点取り競争による軋轢、校内暴力、学級破壊などとは無縁な教育が受けられる。豊かな自然とあいまって、恵まれた環境にあるといっても良かろう。反面、団体競技などはできず、集団生活の体験が乏しくなろうか。
教育には、家庭におけるしつけと、学校や社会など集団生活の中での教育の二面性が要求されると思う。最近の風潮を見ると、家庭教育をないがしろにし、知育のみに走り、教育を全面的に学校に委ねてはいないか。
高齢化の問題
人口減少と高齢化と過疎化は、通常抱き合わせで起きている。
全国の高齢化率は一七.七%。飛島を除く酒田市のそれは二二.五%に対して、飛島は五〇.四%と飛び抜けて高い。飛島でとりわけこの率が高いのは、年寄りは島に働き場所を持ち、若者は都会で職をえるために、所帯を二分しなければならないという事情がある。
ただし、本質を考えていくと、高齢化は老齢化ではないと言っておきたい。それは、都会と島の年長者を比べてみても明らかである。
都会などでは、六〇歳を過ぎれば、多くの人が年金生活を余儀なくされている。だが、ここでは五〇歳は遣い走り、六〇歳は中堅、長老格になるのは七〇歳を過ぎてからである。都会では、働きたくても働き場所がなく、高齢者雇用が問題になっている。島ではリストラも定年もなく、体さえ許せば、通年働いて日々の糧がえられる。生産手段を持つものの強みである。それがまた生き甲斐にも通じている。
それでも、島では生活保護家庭は極めて少ないとはいえ、国民年金を頼りにしている家庭は多い。この高齢化社会では、近い将来年金制度が破綻することは、目に見えている。
先に述べたように、飛島の労働年齢は高く、七〇歳ぐらいでは未だ立派な現役である。それは長年鍛え上げた体力に裏づけされている。肌の色つや、指の太さ、筋肉の引き締まりは、とてもその年齢を感じさせないような人がほとんどである。
しかし、飛島の高齢者が元気だとはいっても加齢による体力の減退は避けられない。出漁の機会を減らし、視力を減退させて、特に眼力が要求されるサザエやアワビ獲りには、支障が大であるとこぼす人は多い。そして、長年にわたる過重な労働は、疾病の誘発にもつながっている。ほとんどが、大なり小なり病気を抱えている。そのうち多いのは、腰痛、高血圧、それにねらう魚に生活のリズムを合わせなければならず、その不規則さから来る不眠や常習便秘などである。
その割に心筋梗塞は少なく、いま復興が話題になっている結核の罹患率は、過去も現在も少ないという印象を受ける。労働という適宜な運動と新鮮な空気、一DKマンションとはほど遠い広々とした家庭環境のせいであろう。
注意すべきは老害
超高齢化ともいえる現代社会は、近い未来につながる重大な社会問題をはらんでいる。
老人の環境の変化に対する適応力の低下、何事にも先立つあきらめ感、そして無思慮な旧来の風習の踏襲は思想の保守化、進取の気性の欠如、新しいものの導入に対する抵抗感を招く。別にこれらは、飛島特有のものではなく、全国共通の問題点である。そして、その流れが老人社会にとどまらず、これから伸びようとする若者を頭から押さえようとする風潮を生みはしないか。これには、老いも若きも十分に、心しなければならないことであろう。
伝承文化の衰退
飛島は伝承文化の宝庫だといわれてきたが、過疎化高齢化の進展は地域活動の沈滞をもたらすと同時に、価値ある伝承文化の衰退に拍車をかけている。
住民はいずれも信心深い。漁業という職業だけに、自然の威力に対して、どうにもあらがえない人間の無力さを知り尽くしているからであろう。
飛島住民の信仰は、島の生活の中で深く息づいている。数々の年中行事のうち、祭りだけでも大祭、大漁祈願祭、霜月祭など多彩で四季折々の祭事がいまも行われている。
全国各地で、高度成長時代には人手不足で、神輿の担ぎ手さえこと欠いた伝統ある祭りが、このところ盛り返してきているといわれているのは喜ばしいことである。しかし、祭りはあくまで信仰の表れであり、マスコミや観光に踊らされた、信仰の裏付けのないものであったとしたら、それは単なる「お祭りさわぎ」にすぎない。
私自身も、祭りといえば山車か神輿か、せいぜい神楽舞いぐらいの認識しかなかったが、それらは祭りの終わり近くの一表現型に過ぎず、本殿で行われる祭事こそが、その真髄であることを今さらのように知った。
その祭りであるが、春の例大祭を例にとっても、本祭りと海上渡御(とぎょ=船行列)を中心として、神宿(とや)から後始末まで祭事は延べ五日にも及ぶ。それにまつわる数々の行事の維持が困難性になり、多くのものが割愛されているという。
方言はなくなるか
方言も現在継承中の、立派なりっぱな文化遺産である。
山形の方言は、置賜、村上、最上、庄内に四大別されているが、私は一村一方言というのが正しいと思う。私のごときよそ者には全く区別できないが、飛島のような狭い土地でも、地区毎に異なった表現をしているものがあるほどである。いわんや郡県単位では、その相違ははかりしれない。
庄内地方の方言がきついのは、自他ともに認めるところであろう。それが証拠には、それを逆手にとって、酒田に隣接する三川町では全国方言大会を開催するほどである。
「先生の前では、標準語で話そうと思うが、うまくいえなくて。」という弁を聞くと、それでよいのだ、と思ってうれしくなり、庄内弁は健在であると確信する。
しかし、各地で方言が廃れていくのを嘆く声も大きい。その理由としては、高等教育の普及、通信メディアの発達、交通機関の発達による人事の交流などによる言語の統一化の傾向などが挙げられよう。
その方言を保存しようとする動きがあり、結構なことだと思う。しかし、言語は、祭りや郷土料理などと同じように、元来人間の生きざま、生活環境に根付いて発生したものである。その土壌が今、大きく崩れようとしている時に、表面に出たものだけを食い止めることは至難の業といえよう。ライフスタイルの変化と高齢化・過疎化は、伝承文化衰退の推進者でもある。
住みやすい社会とは
飛島の人々は、島はいいところだと、口々に言う。それは単に生まれ故郷に対する愛着と、住み慣れた環境ばかりではなさそうである。流行を追う必要はないし、交通費もかからず、交通信号はなく、車にさほど神経をとがらせる必要はないし、隣近所は、もうずっと昔から気心の知れた人ばかりだし、気晴らしに畑もやれるし・・・。ただ、ここでちょっと注意しなければならないのは、住みやすいと思うから住んでいるのであって、とても住めないと思って島から出ていった人もいるはずだ、ということである。しかし、住むに気楽であることは確かそうである。
一般的に、生活に便利なところとは、欲しいものを財布の大きさに合わせて、好きなだけ買えるところである。飛島では品数は限られ、五百円あろうと二千円あろうと買えるものは同じである。
ほとんどの人が漁業に従事しているから、新鮮な魚はある。しかし、さかな屋はないから、好きなものを好きな量だけ選んで買うことはできない。自然、手に入ったとき、いかに保存し配分していくかに苦慮する。
とりわけ住み難くしているのは、定期船の欠航である。冬の日本海は荒れ、厳冬だった昨冬は、一月の三一日間のうち、二一日が欠航。それにこれまでの記録を二日間上まわる連続九日欠航という新記録までたてた。一〇日目に新聞は古雑誌のごとくまとめて来、とても読む気にならない。新聞がなくても、情報はラジオ、テレビでカバーできようが、生鮮食品になると、そうはいかない。欠航中、野菜不足を心配して、近所の人が私にキャベツと食用菊を持ってきてくれた。たばこの自動販売機は赤ランプとなり、酒屋の酒も底をつきそうになったという。
「この際、みんな酒もたばこもやめたらよい」といった人がいたが、その人は自分が両方ともやらないだけに、説得力に欠ける発言ではある。
そんな状態でも、市に救援物資を要請するわけでもなく、住民はさほどの動揺もみせない。その程度のことは、すでに折り込み済で、先人から伝承された生活の知恵と体験がこれを支えてきているからであろう。しかし、これが大都会であったら大変である。大混乱に陥るのは必至であろう。流通機構が破綻したら、一転してその日の暮らしが成り立たなくなる。
「その日暮らし」という言葉がある。ふところが寂しく、その日の糊口をしのぐのに精一杯な生活をいおう。この豊かな世の中で、そんな言葉は死語になろうとしているのは幸いである。
島では、その日暮らしは通用しない。都会では、その日その日は豊かであろうが、先の見通しはきかない。毎日が何かに寄りかかって立っているといえる。そういう意味から言えば、今の都会の生活こそ「その日暮らし」といえないであろうか。
過疎地の重要性
炭鉱は、最盛期全国に八百あまりもあり、かつては花形産業であるとともに、日本のエネルギーの源であったが、平成一三年一一月二九日には離島に唯一つ残る池島炭鉱(長崎県外海町)閉山に続き、一四年一月末の釧路の太平洋炭鉱の閉山を最後に日本から全てが姿を消す。炭鉱は閉山、農地を耕すのは止め、漁獲は減少し、鉄鋼は不況のいま、今まで日本を支えてきた基礎産業は瀕死の重症と見て良い。
しかし、ちょっと振り返っただけでも、わずか五〇年そこそこ前の戦前・戦後の混乱期、食料、燃料、物資不足にあえいだとき、わずかな縁者を頼って田舎につてを求められたものは、幸せであった。我々は、そのとき農漁業等の生産業が国の根本であることを、身に沁みて感じたはずだ。
食料の国内自給率四〇%という数字は、今も昔もさほど変わっていないであろう。あれほど、米の飯に憧れ、必死になって品種改良と増産をはかり、ようやくその目的を達する時期にさしかかったら、今度は減反のお声がかりになった。かつては農業国であったわが国も、今や農業従事者は三百万人を切り、そのうち三〇歳以下の人は一〇万人以下という。
手元に資料がなくて、数字は挙げられないが、漁業の専業従事者はもっと少なく、むしろ遊魚関係で食べている人の方が、はるかに多いという。重要な蛋白源であった魚は、今や地球の果てまでも行って獲って来るほど、量も品種も多彩である。が、そういう行為に周辺諸国で非難の声も上がっている。
アブラの供給が途絶え、漁労を周辺諸国から締め出されたら、その顛末は見えている。遠くの親戚よりも近くの他人、という諺がある。農も漁も、何と言っても経験がものをいい、一朝一夕で引き継げるものではない。熱資源として安定した国内需要がまかなえた石炭も、炭鉱はことごとく廃鉱になり、欲しい時にいざ復活を、と思ってもそうはいかない。わずか数%の自給率の石油は言うに及ばす、もし世界的に食糧が不足したとき、国内の特に都心部で巻き起こる窮状は、想像に難くない。
いつの間にか豊かになってしまった我々は、自分の足下をないがしろにして、遠くの獲物ばかりを狙っていないか。世界は、人も物も、札束をちらつかせれば、なびき寄ってくるような錯覚に陥り、体が元手の仕事を敬遠するばかりか、軽んじてはいないか。
この世の中は、毎晩が月夜ばかりでないことを、九月一一日に米国で起こった同時多発テロ事件は教えており、我が国の繁栄は浮き草の上にあるように思えた。国土は大都市だけで成り立つものではない。里山、原野、離島は、生産といざというときの人口の吸収口、避難場所、リフレッシュできる快適な空間としての存在価値がある。そこに住む人々が都市を支えているともいえる。そのためにも、目先には一見無意味とも思われるものへの、長期見通しに立った投資も無駄ではあるまい。
進歩、発展を追求してやまない社会
翻って考えれば、明治以来我々は進歩・発展を追求してやまない社会に住んではこなかったか。資産の有効活用は、と問われると、すぐに経済的な価値を生むものは何かと考えるのが、習い性となって来はしなかったか。
釧路湿原は低温と海霧のため不毛の地とされてきた。高度成長期には、何かに転換利用できないものかと、客土などが試みられたが、見るべき成果はなかった。それがラムサール条約が採択され、その登録地になると状況は一変し、何も手をつけるな、との号令が下され、今や日本を代表する湿原になった。
北海道の小樽運河を埋め立て、東北の北上台地のブナ林を寸断し、いずれも道路を敷こうと計画されたが、世論の反対にあい、阻止された。その結果、運河は観光の目玉となって輝き、ブナ林は世界遺産にまで登録された。 沖縄の竹富島は、ただひたすら過去のありのままの姿を守ろうとすることによって、かえって限りない付加価値を生もうとしていると聞く。主役は自然であり、人間は脇役であることに我々は少しずつ、気づき始めている。
では、飛島は?
飛島のこれからの生き方
こんな大きな命題を、私ごときものに解けるはずがないと、初めから断っておこう。
日本のあちこちで、異口同音に地域の活性化が叫ばれ、何か策はないかと、いま日本中が模索している。
率直に厳しい言い方をさせていただけば、飛島ではもう新規のものに取り組むには遅すぎ、その体力は尽きつつあるような気がする。
例えば、飛島では一口アワビの養殖をやっているが、それを凌駕するもっと大々的な養殖事業が起こせないものか、という提案がある。素晴らしいことである。しかし、市場価値の高い魚種は何か、その設置をどこにするのか。場所によっては、島内でも漁業権の問題が起こりうる。それに抵触しない辺ぴなところは、大規模な開発、すなわち、自然破壊を必要とする。仮にそれができても、そのノウハウを習得に行く将来性ある人材がいるか。輸送コスト等からみて市場で太刀打ちできるか、などの問題があろう。
また、例えば、ボーリングをして、今はやりの温泉を掘り当てて観光目玉にしては、という。結構なことである。しかし、うまく噴き出しても、そこまで客を運ぶアシはどうするか、消費が増える水道の量は充分か。温水の常時流出により海の生態系に変化を来し、漁獲に影響をおよぼさないか、などの問題がある。その調査と実現にはかなりの時間と経費が要求され、この高齢化が急速に進むさ中、すぐに間に合うだろうか。
どれ一つをとっても、大問題に突き当たる中、一ついえることは、運河は運河に、ブナ林はブナ林のままにのように、既存のものを活かして、価値を高めて行けないものか、ということである。
又聞きではあるが、島でとれたての魚は、タイミングによっては輸送の関係ですぐには出荷できず、一日置くことになる。そのため市場価値を落とすことがあるという。また、飛島のイカの塩辛は魚醤としても有名であり、天日干しのイカの一夜干しも旨く、それ自体名産品として通っている。しかし、夏に、生イカとしては出荷できないから、保存食にせざるを得ないという、やむにやまれぬ事情もあった。いずれも、この輸送体系が発達した現在、もう少し機能的にできないものか、検討する余地がありそうである。
炭火焼きしたあと、天日干ししたトビウオをご存知か。そうめんのツユの出しに最適で、高級料理屋などで使われている。国内では、九州の一部で見られる程度で、近隣地区以外の知名度は高くない。ワカメは、全国各地にあり、飛島でも良質のものがとれる。しかし、アラメは。私はここへ来て、アラメを五〇年ぶりに食べ、懐かしかった。私の郷里静岡以外の友人で、アラメを知っているものはいなかった。アラメは計画採取しているが、トビウオは豊漁の時は買い叩かれ、浜値と末端価格のギャップは大きい。流通機構の改善や、知名度を上げる努力をすれば、もう少し販途が広がり、島が潤わないか。
「とびしまジャガイモ」は、北海道の「男爵」を種芋として栽培するが、酒田はおろか、本家北海道とも違った味があり、有名料理人が激賞したという。それはともかくとして、うまさには定評がある。ブランド品として需要は高いようであるが、農婦の高齢化で、作付け面積は減少して品薄となり、市場に出すほどにならない。
観光は、漁業と同じウエイトを占めるくらい、飛島では重要な産業である。ところが観光客が減少傾向にあるのは、あながち海外や大型レジャー施設に客の目が向いているだけではない。経営者の高齢化や人手不足により、受け入れを大幅縮小せざるをえないというのも大きな理由である。これは成り行き上、仕方ないことかも知れない。
観光地として揺るぎない地位を確立するには、リピーターをいかに獲得するか、どうしたら口コミにのせることができるか、の策が大切であろう。ディズニーランドの成功は、それまで子供相手だった遊園地を、大人のものにまで広げ、絶えず、新規の企画を取り入れ、リピーターを獲得したことにある。私のかつての職場は、ディズニーランドの近くにあったせいもあろうが、職員に「あなたは何回ディズニーランドに行ったことがありますか。」と聞くと、大部分のものが、数えきれないほどと答える。いくら近くても、面白くないところにはそうたびたび行くものではない。
これもよく指摘されることであるが、飛島料理は伝統味溢れているが、十年一日のごときだといわれる。郷土色に富んだ料理がフルコースで食卓に上ると喜ばれるが、フルコースということは、次の日も同じ料理になる可能性を含んでいる。これでは飽きが来て、長期滞在は望めなくなる。対応策として、各自目先を変えるように努力しているようである。さらに若者にも向く、伝統に基づいた新機軸の料理を、といわれているが、新メニューへの取り組みには消極的だという。このあたりにも、反省の余地があろうか。
夏、島で観光客に出会うと、私はお節介にならないように気を遣いながら、できるだけ案内するようにしている。飛島にはガイドがいないから、地図を片手にうろうろ歩き回り、あたら景勝地を知らずに帰る人が多い。こういう人は一見の客に終わろう。
反面、有能な船頭には、たくさんの釣り客がつく。もう十年余も、しかも年に何回も訪れる釣り客もいるという。これこそリピーターの典型である。
新規のものを開拓しようとする意気込みは立派であるが、先ず足下を見つめ直し、古くから受け継がれたものの良さを見直し、廃れさせる原因を探り、維持し、さらに発展させるという努力ぐらいならできるのではないだろうか。
各論から導き出される総論
「総論賛成、各論反対」という言葉をよく聞く。これほど矛盾した言はないであろう。総論とは、各論から導き出されたものを相対化、普遍化したもののはずである。総論と各論との間に齟齬を生じるのはそのいずれかに誤謬があるからである。
私は不勉強で、離島振興対策というものが具体的にどういうものであるか、どのようになされているのかよく知らない。しかし、島の道路や港湾の護岸整備などを見ていると、大変な額の投資がなされていることにすぐ気づく。とても一地方公共団体でできるものではない。離島振興法などのたまものであろう。
一般に、何々対策というと、それは補助金という尺度で測ってはいまいか。福祉対策といえば設備が完備した老健施設を造るとか、芸術振興といえばりっぱな美術館を建てるとか、いわゆる箱もの行政である。
老健施設ができても、家族によっては、年寄りを姥捨てするようだと言って、入所に二の足を踏む気風が実際にある。住民検診を呼びかけても、命汚いといわれそうだと言って、受診しない年寄りがいる。
立派な美術館や博物館を建てても、展示物を常にいれかえていなければ、開館式の日だけ盛況でその後は開店休業状態となろう。早い話が、誰にその掃除をさせるのか、という切実な問題に突き当たり、お荷物にさえなっているところがある。
辺地の学校というと、教材に事欠き、設備は貧弱で、生徒は何かにつけ不自由している、という図式ができあがっていないか。物資よりも、ここでは経験できない集団学習や、生の文化の香りにひたらせてあげる方がもっと大切ではと、岡目八目的に思うことがある。過日、テノール歌手の畑儀文氏が、離島の学校で歌唱指導をするキャンペーンの一環として、島にお出でになった。そのときのプロの歌声を、生徒も住民も忘れないであろう。私自身、戦後の焼け跡の学校で、そのような経験があるからである。とれた魚を、急速冷凍する施設が欲しい島もあろう。しかし、それよりも、一目散に市場に出荷できる交通システムを切望している島もある。同じ魚でも活魚と冷凍魚とは、似ても似つかないものだからである。
飛島には、立派な県道が敷かれ、大いに役立っている。しかし、自動車に乗れない者にとっては、間接的な恩恵でしかない。高台の畑に行くのに、昔ながらに、その自動車道を、曲がった腰で手押し車を押して登って行く、というよりは杖代わりにその柄にすがって、畑まで重い肥料を引き上げ、収穫したものを運び下ろしている。その農婦にとっては、耕耘機よりも、作物の上げ下ろしを心安く手伝ってくれる人の方が、はるかに感謝であろう。もし、そういう人が派遣されていたら、そんな時こそ、行政の恩恵を感じるであろう。
島に必要なものは、ハードとともにその中で取り組まれるべき心温まるソフトである。ソフトがあってのハードであり、場合によってはソフトだけで足りることもあることは、先に述べた例でもわかる。
我々は一律に器を決め、ことをそれに当てはめようとしてはいないか。離島には、全国の島が抱えている共通の問題の他に、その島特有の事情がある。離島問題に取り組もうとするときには、個々の島にあたって、その島の状況に応じた対応をすることが必須である。それには島数が多いだけに、気の遠くなるような手間と経費を必要とし、場合によっては収拾がつかなくなる結末があるかもしれない。しかし、その努力を怠って、島の事情もわきまえずに、総括的にものに対処しようとしたら、無理と無駄が生じてこよう。
その島のことは、先ずその島に聞け、というのが、私のありきたりの結論である。
この稿を記すにあたり、
1.河北新報「論壇」(平成一三年七月より一二月までの月一回)、市川医師会報(平成一二年秋期号)、上田診療所院内報(平成一三年一月号)に依頼を受けて寄稿した原稿
2.読売新聞山形版(平成一二年八月三一日付)、NHK山形放送局(平成一二年七月一一日放送)、河北新報山形版(平成一三年六月二日付)、の取材を受け掲載された記事
3.酒田市飛島総合センター(池田英男所長)、元飛島小中学校校長斉藤昇氏、元飛島総合センター所長斉藤正一氏や多くの住民の示唆に富んだアドバイス
4.「シマダス」(日本離島センター平成一〇年)、「離島における保健医療に関する調査」(日本離島センター平成八年)
そのほか飛島に関する資料
などを参考にした。関係各方面のご協力に感謝します。
*財団法人日本離島センターに寄稿したものを頂きました。
|