「そこは文化の発するところ」 ・・・ある離島での独り語り・・・
飛島診療所長 杉山 誠
☆縁もゆかりもない島に☆
「そこ」とは、ここ山形県唯一の有人離島・飛島である。そこは「文化の発するところ」ではなく、「文化の果てるところ」の間違いではないかといわれそうであるが、北前船の昔より祭事や年中行事、イカの魚醤に代表される郷土料理や漁法など、伝統文化や技術の宝庫といわれてきた。
私はここに国立病院を停年を残して辞め、2年前に赴任した。僻地医療が頭の隅から離れなかったので。ここには何の縁故もなく、その存在すら知らなかった。
酒田から39k。定期船で90分かかる。難は何といっても冬場の日本海の時化と、それにともなう船の欠航で、1月には6、7割も欠航する。
☆あれこれ数を挙げつらえば(平成14年6月現在)☆
数字の出たついでに、島の数値を少しばかり列挙すると・・・。
人口ただ今334人。MAXは1,788人であったから、実に1/5に減少している。
高齢化率は52.4%で、全国平均の約3倍。しかし、体さえ許せば仕事はあるから失業率は0%。生活保護家庭は、所帯数148のうち1軒のみ。これは全国的に余りみられない数字か。
小学生はいなく、高校はない。中学校は生徒一人で、本校ではおそらく日本最小か。いずれにしても、一位タイであることは間違いない。
数値0のものといえば、島には交通信号も道路標識もない。したがって路上に駐車しても切符を切られる心配はない。犯罪もゼロ。赴任する前に念のため「島の治安は」と聞いたら「大根一本引き抜いてもバレるから止めた方がよい」と。即ち狭い社会で皆の目が行き届いているから、隠れて悪いことはできない。
☆診療は問診と視・触・聴・打診の原点で☆
患者は何でも診る。観光で遊びに来た小児から、ここで生まれ育ったお年寄りまで。ここでは妊産婦を診たことがない。そんなことからも、少子高齢化の波をヒシと感じる。
MEであるものは心電計とレントゲン撮影装置。聴診器を耳に、所見を見落とすまいと患者を必死に診る。その時、インターン時代に全科を廻って叩きこまれた教訓と、二外で受けた外科の手ほどきと、これまでgeneral
pathologyに徹しようとしてきた僅かばかりの臨床病理の知識が役立つ。ただ患者を診ると、ミクロの像がすぐにイメージとして湧き、剖検所見が頭をかすめるのは困りものである。手に負えないものは市立病院にお願いする。
☆患者の受診の仕方☆
住人は皆顔見知りで、75%は患者として直接診察している。疾病は腰痛、膝関節痛、高血圧、それに漁撈中の事故などが主体で、過去の労働過重のツケに、加齢が彩どりされている。
島民は信頼し、気をつかってくれるのはありがたい。あるご婦人、家で転び頬部をしたたか打ったが受診しない。近くに行ったついでに患家を覗いてみたら、左頬部の内出血はかなりのもの。「どうしてすぐに来なかったの」といったら、「こんな見ったくれもない顔、先生に見せては。少しよくなったら行こうと思っていた」という。こう気をつかわれては、かえって困る。
☆通勤時間一日がかりの看護学校☆
学校の講義ともここへ来ては縁切りだと思ったら、酒田の看護学校での病理の講義を頼まれた。急遽東京に置いてきたスライドなどの資料を取り寄せた。それより、船は1日1便であるから、日帰りはできない。通勤に24時間がかりとは、これまでの学校の最高である。
☆ヒトは何で生きるか☆
ここは一口でいえば、漁業と観光の島である。
漁業のうち、特にイカは、烏賊の方から島に押し寄せてくるといわれたほどの漁場である。その他、タイ、アワビ、素麺のダシに最適なトビウオなど。四季折々の漁の暦を繰るのが楽しい。漁りたてのピカピカのものをどっさり届けてくれる。もらうと、生で食べ、焼き、そして煮る。料理の腕が生、焼く、煮るの三拍子しかない。それが一巡しないうちにまたもらう。そしてまた、生・焼・煮とやる。スーパーもコンビニもなく、食材も調理の技術も乏しいから、正直三度の食事は苦労の種である。
「汝、生きるために食べよ」と論されてきたが、最近のTVのグルメや大食い競争番組をみていると、食べるために生きているとしか思えない。自分はといえば、あるものを処理するために食べて生きているようなものである。
☆バードさん☆
島の観光の目玉は、風光と遊漁と離れ小島への旅情か。ここ数年来、バードウォッチャーが増えたという。バズカー砲のような望遠鏡を担いだヒトによく出会う。10年も通っているプロもいる。客としてのバードさんの評判はよい。朝早く出ていって、夜まで帰って来ないから。どこかの団体さんのように、宿に着くなり卓を囲んでご開帳を始め、飲んでは食べて、また洗牌する面々より遥かに健全で、島の客人にふさわしい。
私には、鳥といえば、天然記念物のウミネコやトンビぐらいしかわからないが、ここはシベリヤとの春秋の渡りの絶好の中継地で、200種あまりの鳥が観察できるという。北杜夫は「・・・青春記」の中で、鳥は調べようにもすぐいなくなってしまうから、探鳥ほど効率の悪いものはないといっていた。私もバードをやるとしたら、望遠鏡などいらないペリカンか駝鳥など大型の鳥を選ぼう。
☆豊かな植生☆
鳥よりも、ものいわず逃げも隠れもしない植物の方が親しみやすい。採取してゆっくり調べられる。ここは対馬暖流と、間宮海峡からの寒流が混じりあうところで、緯度の割に暖かい。シベリヤからの寒気は蔵王をめがけて、頭越しに通り過ぎてしまう。それだけに植生は豊かで、日本の寒地系のオオイタドリやエゾオオバコ、暖地系のタブの木やオオバグミなどなど寒暖両系がみられる。シケにもめげず春まだき、ツバキの赤い花にフキノトウの黄から始まり、やがて山道の両へりを雀茶色に縁取りする土筆。そして雪割り草(ミスミソウ)、イワユリ、ハマヒルガオ、カンゾウと咲き続く。花にも華やいだ暦がある。
本土から隔絶され雑交配がし難いために、いくつかの固有種も見られる。トビシマカンゾウとか、トビシマナシとか。また、葛の花は紫色ばかりと思っていたら白もあり、珍しいそうである。この交雑の心配の少ない地理的な特性を活かし、小規模ながらもネギやセイサイ(青菜)の種採りを行っている。この点、島起こしの一つとして、もう少し目を向けてもよさそうである。
☆時間の尺度は☆
都会の就労時間を一律にすることが、ヒトにとって生理的であり、生産的であろうかと、ここにいると疑いたくなる。
朝船を出し、夕方港に戻るマンネリズムの漁なんて考えられない。漁によっては3時起きどころか、前の日の夕方に出て明け方帰る。文字通りの午前様だといっても、飲んだくれての朝帰りとはわけが違う。
気象は暦通りに運ばないのが常である。今年は暖冬だとか冷夏だとか。それよりも道ばたの小花や、霊峰鳥海山の山肌に描かれた雪絵の方が、作業の日取りを決めるのによい。
時は計器のみに頼るものではない。季節・気温と月日の出入り、潮の干満、それになんといっても各自に備わった体内時計がものをいおう。
☆視聴率ナンバーワンのTV番組は☆
テレビ第一の人気番組は、大河ドラマでもテレビ小説でもなく、天気予報である。漁と天候は不可分の関係にあり、皆が気象予報士ばりである。明日の天気は、下駄を蹴り上げて表か裏かで占っても、空模様を見るだけでも5割から7割の率で当たろうが、最近の予報は実によく当たると感心する。私は在京時代には天気予報番組を視たことはなかった。毎日傘を持って仕事に通うから、全天候対応型である。が、たまに傘を持ち歩くのを忘れると、逆に外はカンカン照りでも、今にも雨が降るのではないか、と心配になるから因果な性分である。
そんな私が島に来てからは、島民同様天気に過敏になった。酒田に行く時船が出るか否かは重大事であるし。雲は10種に大別されているが、数種入り乱れ見ていてあきない。東京では、分譲住宅を買う時、見える空の広さまで分譲されている気がする。
☆夕陽の海への沈み方☆
大英帝国は、栄光の時代に陽が沈むことはないと豪語したが、こんなすばらしい光景を見られなかったなんて、気の毒なくらいである。
大海に沈む真赤な太陽の絢爛さには、誰もが息をのむ。だが、沈んだ後は急速に宵闇が迫り、話かけるヒトとてない展望台に、独りたたずんで見ていると、寂寥感にかられる。
夕陽は海によって沈み方が違う。太平洋には「ジャぼん」と。それがここ日本海、即ちJapan Seaでは、沈む時「じゃパーん」と音がし、その後「ジューン」といって消える。そして、そのあたりには「ぼーっ」と湯気が立ちのぼる。そんなこと信じられない、というヒトのために、この決定的瞬間を音と写真でとらえようと、夕陽を追って足繁く通っているが、未だ成功していない。ライフワークの一つになりそうだ。
☆異郷の月にもの想う☆
日がトップリ暮れると、白でも銀でもない月色としかいいようがない月が墨染めの空に浮び、辺りを照らす。
安倍仲麿は、異国・中国で月を観て、「・・・三笠の山に出し月かも」と詠ったが、離島の月は郷愁を誘う。その同じ月が、遥か海の彼方国後島の友好の家の屋根も、苦さ生えぬアフガンの山岳地帯の地肌をも照らしていることだろう。
☆星に願いを☆
港の灯や沖合いのイサリ火を避けて高台に登れば、満天の星がまたたく。さして明るくない北極星は、都会ではネオンにかき消されている。コンパスとてない昔、物産と文化の交流を求め北海の往還に帆を進めた船頭にとって、変わらぬ北辰の煌めきは、さぞかし心強い道しるべであったことだろう。
星を見ていると、お気に入りの自分の星を持ちたくなる。「いい星の元に生まれた」と喜んだり、「星がない」と己が不幸を嘆くヒトの心が、何かわかるような気がする。
いま大都会への一点集中、過密化、都市の砂漠化が進む中、このちっぽけな島は、大海の一雫として弾け飛ばされ、うたかたごとく消えていく運命にあるとしたら寂しい。これから22世紀に向かい、かつて日本各地に独自の風土を育くみ、豊かな生産の担い手であった地方はどうなるか。これまでの文化を伝承し、そこにまた新たな文化の発祥地としての役割を果たす時が来るようにと、星に願いをかけている。
*北海道大学第二外科同門会報第21号より
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